日記:2013-02-12

新規開拓アニメ批評::まおゆう魔王勇者

とりあえず慌ててざっと6話まで見た感想。

>トウモロコシ
トウモロコシって綿花と並んで代表的な「栽培に大量の水が必要な作物」の2TOPの1つじゃなかったっけ(笑)??気になって調べたらそうでも無いみたい?あ~でもモロコシは地下に広大な根を張る植物なんで水はさて置き、畑にかなり大量の肥料を撒かないと充分に実が成らないという欠点があるんだよな。それで恐らく南氷洋のニシンなんだろうけど。

モロコシは初夏から盛夏に掛けて結実し、その身が育つ時期に合わせて大量の水が必要となる作物で。この時期に充分な水補給が出来ないと、秋口の収穫が半分以下にガタ落ちするので。この時期には何が何でも水をやり続けないといけない訳ですが…前述の通り1年で最も気温が高くなる時期に~というのが問題でして。つまり実際に給水する量よりも遙かに多くの量の水が、水を掛けるそばからじゃんじゃんと蒸発して行ってしまう訳でして。これが俗に「トウモロコシは小麦の3倍の水が必要」という言説の由縁です。

またモロコシはお米と同じくイネ科の1年草なので、背丈が非常に高く成長する作物(2m前後)。そのため背の低い小麦や大豆よりも、実の部分に充分な水を吸い上げるためには、やはり余分な水分が必要となる植物な訳です。そして背が高いので横風に弱く、収穫前にちょっとした嵐に吹かれると、畑のモロコシが全部地面に倒壊という悲惨な事も良く起こる、非常にリスキーな作物なのです。

作画で敢えて紫色とかの原種っぽい?モロコシを出して来た辺り。恐らくは南米インカアステカ文明などでのモロコシ主食説に乗っかってるんだと思いますが。コレって今はかなり否定的というか、まあほぼ否定されてる学説でして。古代南米ではトウモロコシは貴族階級のみが食する、一種の嗜好品として少量栽培されていた~て言うのが主流の学説になりつつありますので。主に神に捧げる供物酒の原料にされたのではないかと考えられています。

大多数の人民を養う主食として考えた場合、前述の様にリスクとコストが大きい作物なので。長期間、安定供給するには無理がある。現代の市場に満ちあふれる大量のコーンは、19世紀以降の最先端の農学や遺伝子工学が作り上げたスーパートウモロコシであるという視点が欠けてますね。あとプラス化学肥料ね。

>馬鈴薯(ジャガイモ)
とりあえず中世欧米史観を否定的に描きたい話の定番として、「中世ヨーロッパはアジアやイスラムに比べて科学技術が劣っていた。農業もまた然り!」~的な流れでやたら皆さん語りたがる訳ですが…(笑)。

実際にジャガイモがヨーロッパにもたらされたの15~16世紀頃ですが、それから約300年近く全くと言って良いほどジャガイモはヨーロッパで不人気で、誰も栽培して食べようと思わなかったんですね。理由は色々あって、例えば聖書で毒草として書かれているとか、そもそも味とか料理法が当時のヨーロッパ人の好みじゃなかったとか。でも最大の理由はシンプルで、要はヨーロッパの大部分がジャガイモの栽培に適さない気候風土だったのです。

紅の学士様曰く「これは馬鈴薯と言って寒さに強く…」と言ってますが、実はその「寒さに強い」というのに語弊があって。真実は「震えるほど寒い土地じゃないとうまく育たない」と言うのが真相なんです。唯一、極寒のアイルランドでは麦に代わる作物として大規模栽培が進み、17世紀になる頃には完全にアイルランド人の主食となりますが。単一作物に食糧供給を頼った弊害として、歴史的にも有名なかの「ジャガイモ飢饉」が起こり、100万人以上の餓死者が出ました。飢饉を防ぐはずだったジャガイモが飢饉の原因となったのです。実はジャガイモ(というかナス科の植物全般)は“極めて連作障害を起こしやすい危ない作物”なのです…!

これも前段のモロコシと同様。南米インカアステカ文明などではジャガイモが主食だったという学説を根拠にしてるんだと思われますが…。確かにジャガは紛れもなく古代南米での主食であり、幅広く栽培されていた事が遺跡などからも判明していますが。当時は、つ~か今現在でも連作障害を避けるため、1つの畑に最低でも20種類近く、場合によっては100種類以上の品種のジャガイモを植えて育てていた事実が、やはりすっぽり抜け落ちています。

ウッディ大尉の弁ではありませんが「魔王クン、飢饉はジャガイモ1種類でどうこう出来る様なものじゃないんだ!」という事です。2ch風に言えば、「お前が考えた事はもう既に誰かが試して失敗してる」~ってヤツですよ。生暖かいビニルハウスの中の実験農園でしか手を汚さない、引きこもりの紅の学士様らしい厨二発想乙(笑)。

>駄肉
前述通り、この作品は作者の非常に緻密な取材考察に基づいて書かれている事が分りますが。それよりも何よりも一番素晴らしいのはやはり、ダブル主人公である魔王と勇者の恋物語として非常に良く出来ていると言う事です。折に触れ魔王が口にする「あの丘の向こう側を見てみたい」というもの、非常に秀逸なキャッチフレーズだと思います。余分な飾りっ気がそぎ落とされた、洗練されたセリフ回しだと思います。

またメインヒロイン格のキャラに正面から正々堂々と、いわゆる“ぽっちやり体型”を持って来た事も非常に高く評価されます。つまりヒロイン魔王の人間的?な魅力のメインは体型、つまり性的アピールに秀でたその肉体そのものであると明確に位置づけてる訳です。男性視点から言えば男が女性に惚れる、つまり好意を持つ理由は「性的な魅力に溢れている」以外の理由はほとんど必要有りません。平たく言えば美人ならそれだけで男は惚れます(巨乳ならなお良し)。料理が得意とか、子供に優しいとかはあくまでも副次的要素に過ぎず、それらは要は“事後”に発覚する「嬉しい誤算」でしかないのです。

その上で魔王は初対面時から既に出来上がった状態であり、尚かつ1年以上も放置して置いても移り気になる事無く、じっと田舎で勇者の帰りを待って居てくれるという。何とも男に取って都合の良い事この上ない女性として描かれています。これほど男子の理想像を具現化した直球勝負のヒロインを見たのは、ついぞ久しいです。さらに付け加えて言うなら、魔王はオツムが弱いから簡単に勇者に落ちたのでは無く。通り一遍の学は修めており、それなりの淑女としての嗜みも身に着けております。従って放って置いても、見えない所で間男と姦通する心配が無い事を明示的に表しています。

また「頭は良いが要所要所では抜けている部分がある」~というのも非常に高く評価される部分で。こういう描写を入れる事によって、決して余り物の場末の女では無いが、最終的総合的には男(勇者)には一歩及ばず常に引いた存在となる事を、男性視聴者に強く印象付ける事に成功します。とても素晴らしい作品だと思います。

敢えて揚げ足を取るというか、欠点を一つだけ述べるとしたら。それはヒロイン側の魔王視点から見た男の魅力。つまり何故、魔王は勇者に惚れたのか?~という肝心な部分が全く描写されてない事です。

前述の通り、男性側からの視点では何故、ヒロインに惚れるのか?という描写は基本、必要有りません。映像でヒロインを美人に描けばそれが答えとなるからです。一方、女性側の視点から、何故ヒロインは男に惚れたのか?という説明は、特に見ている男性視聴者に対しては非常に重要な要素だと思われます。何故なら男は生物学的本能とでも言いますか、自分のパートナー女性が他の男と関係を持たないか、常に心配する様に脳の思考回路が出来ているからです。

この部分に関しては原作?では何らかの記述がなされている様ですが。アニメでは一切、言及がなされてないので、この一点に関してのみ、男性視聴者にある種の不安感を抱かせる要因となります。今後、多少なりともその部分を解消する様な描写を入れれば、さらにもっと良くなる事と思います。

総合的には87点くらいだと思います。