他にも幾つかのタイトルを最終話まで見終わりましたが、感想などはひとますこれにて終了です。またもう既に夏の新作アニメがスタートし始めてますが、それらについてはもう暫く後で3話くらいまで見てから感想などを書き綴りたいと思います。
最終アニメ批評: 異世界かるてっと
幸いな事に登場する4作品を一通り全て視聴済みだったので、互いのキャラ特性や相関図などに迷う事無く見る事が出来ました。
最終アニメ批評: 盾の勇者の成り上がり
大変、面白かったです。2クール25話で充分に楽しめたのですが、最終話で完全決着とはならずにさらなる謎を残したままとなったのでこの先が気になります。是非とも早急に続編、第2期を製作して欲しいですね。
最終アニメ批評: 賢者の孫
いわゆる "太郎系(笑)" の最終兵器だった訳ですが…巷の下馬評と異なり、少なくとも自分にとっては十二分に楽しめた大満足の一品となりました。確かに突っ込みどころの多い作品ではあるのですが、それは良い意味での突っ込みと言うか、少なくとも「ダメ出し」では無かったと思います。
何かと批判の多い太郎系作品ですが、しかしながら実際に人気を博してアニメ化されたその多くは「主人公が苦労せずに敵を倒してモテモテハーレム」では無くて「主人公が努力した分の成功報酬が確実に保証された世界」である様に思います。ただその "成功報酬" が実社会基準のそれと比べて過大評価されがちで、例えば「道に落ちていた財布をネコババせずにちゃんと正直に交番に届けたら、持ち主が王様で感謝され褒美に騎士団に召し抱えられてついでに姫様も一目惚れする」みたいな成功報酬のインフレが極端過ぎるのが概して批判の対象になっているのかなと思います。
しかしそれでも名誉太郎さん達は必ず「財布を拾って交番に届ける」という利他的行動を実践しており、その行為に対しての社会的認知や身分保障が明示的に読者側に示される物語のスタイルを総じて "太郎系" と言うのだと思います。これは恐らく読者の多くが現実社会では自身の利他的行動がほとんど全く報われる事無く、むしろ逆に非難されたり注意処罰の対象となった実体験を持つ人が多いため、いわゆる「正直者が馬鹿を見る」ことにすっかり嫌気が差して厭世感が蔓延した日々を送っているからではないかと推測されます。
この事を裏付ける様に太郎系作品では必ず利己的行動を行う人物に災難が降りかかり、或いは主人公がその悪を暴くという形で注意処罰を与える側に回るシーンが多く描写されます。主人公の利他的行動と敵対勢力の利己的行動が対比的に描写され、時として利己的行動を行った者達には過剰苛烈とも言うべき懲罰が与えられるのが常となっています。そして主人公の与えた懲罰は作品の中では絶対的に正しく道徳的規範に則った世界の真理であると解釈され、一種の宗教教祖的なカリスマとして描かれるのもお約束となっています。
近年、多くの大学関係者から「最近、学生の間で無駄な事はしたくないという声が多く聞かれる」みたいな話がTwitter等で流れて来ます。この場合の "無駄な事" というのは「利己的行動を行ったにも関わらず適切な成功報酬が受け取れない事案全般」の事を意味しています。これはただ単に疲れる事はしたくないという嫌悪感程度のレベルでは無く、もう金輪際絶対に搾取されたくない!騙されたくない!という叫びにも似た恐怖感に近い感情が日常的に昨今の若者達の間で支配的である事を意味しています。
一般的に大学進学出来る様な若者は社会的にも恵まれていて中流階級以上の準富裕層階級に属していると思われるのですが、前述の様な貧民街に暮らす人々の様な価値観が支配的になりつつあるのが現実だとすると、今現在の日本の社会システムは完全に崩壊してしまっており、多くの若者は自力救済しか信じられずに他者に何かを分け与える利他的行動を絶望視している事になります。この様な社会ではちょっとした人助け、例えば「電車で席を譲る」とか「落と物を拾ってあげる」みたいな直接に金銭授受を伴わないレベルの利他的行動であっても嫌悪回避され、逆に些細な僅かばかりの金銭的利益を得るための利己的行動のみが支配する社会と成り果ててしまいます。
しかしながら人類、ホモ.サピエンスは様々な研究結果から遺伝子レベルで利己的行動よりも利他的行動を優先しその事に幸福を感じる様に脳が進化している事が分かっています。現実社会の環境圧では利己的行動を強く要求されるにも関わらず、本能レベルでは人助けをして褒められたいという利他的行動の欲求が強くなるため、その板挟みによる精神的ストレスの解消欲から代償行為としての太郎系作品の様な「利他的行動が絶対的に正しく評価され必ず報われる物語」がより多くの人々に求められ受け入れられているのではないかと推測します。
そう考えると来る参議院選挙と立て続けに行われるであろう衆議院選挙の結果如何に依っては、これら太郎系作品の内容傾向に大きな影響を与え下手をするとジャンル自体の存亡にも影響を与えるのではないかと愚考してしまいます。昔の人は「歌は世につれ世は歌につれ」と言いましたが、同じくアニメやマンガ、映画に小説の様な娯楽コンテンツは須らく "世相を映す鏡" であると言えるでしょう。