習慣アニメ談話: PSYCHO-PASS 3
劇場版とSSを視聴後、録り貯めて置いたモノを一気に視聴。1期、2期とはかなり雰囲気が違っており、また主人公を含めた主要メンバーも一新されているのですが、非常に面白く楽しめました。自分の感想としては「かなりシャバに寄せて来たな」というのが正直な感想です(笑)。
最初に始まった1期と2期の時は、明らかにサイコホラー風味を全面に押し出して来る作風で、物語もいわゆる猟奇的シリアルキラーの異常者を探し出して捕まえるというものでした。ところが劇場版でかなり方向転換して来て、サイバーシティに潜む猟奇殺人犯を捕まえる展開から一転、国際紛争や国内省庁間の縄張り争い等の非常に政治的なテーマにシフトして来ました。特に新メンバーであるイグナトフ監視官などは正に『攻殻機動隊』の十八番とも言える移民問題を象徴するキャラとも言えます。
またTV版の2期まではシビラシステムに対して、少なくとも主人公らは明確に否定的な考えを隠す事無く持っていたのに対し。劇場版以降のSSとこの3期では明らかにシビラシステムを良いモノとして認識しており、平和憲法の様な功罪を差し引いても余りある利益をもたらす守るべき国家的安全装置の様なものであると考えています。前期では一瞬の "許されざる存在" として扱われていた免罪体質者も、新シリーズにおいては特異な才能を持つ人材程度の扱いになっており、完全にこの世界秩序にシビラシステムは不可欠なモノとして描かれている様に思われます。
これらを総合的にまとめた上で語弊を恐れずに言えば、制作側は本来は『攻殻機動隊』でやるべき内容をこの『PSYCHO-PASSシリーズ』へシフトさせて来た様に感じられます。これは結局、『攻殻機動隊』はどこまで行ってもその原作権は原作者である士郎正宗のモノであり、世界観やキャラ等をその時々に応じてアニメ制作会社側の都合で柔軟に改変する事が難しいという動かし難い現実があるからだと思われます。事実、リブート作品として製作された『攻殻機動隊 ARISE』に対する古参ファンの評価は非常に辛辣でした。
前述の様に『PSYCHO-PASSシリーズ』も当初は『攻殻機動隊』と被らない様に個人犯罪に焦点を当て、演出等も猟奇殺人シーンへかなり重点を置いた描写が多く、それはそれで一定の評価を得た訳ですが…ホラー描写(グロ描写)はエロ描写と同じく、アニメ作品にとっては非常にリスクの高い選択肢であり。事実、過度の殺害描写シーンが問題視され、地上波放送時には該当シーンに大幅修正が施され、また放送自体も延期される事態となりました。また1回でもこういったケチが付いてしまうと、そのシリーズ全体のイメージが悪くなってしまいますし、その様な作品シリーズを海外へ売り込む場合には相手側ブローカーが買い付けに難色を示す場合があり、とにかく百害あって一利無しという事になります。
実はもう既に幾つかのアニメシリーズ作品では日本国内市場よりも海外市場での売上が高くなる逆転現象が起きており(『夏目友人帳』や『僕のヒーローアカデミア』など)、このため国内のファン層向けに作品のジャンルや作風を特化してアニメ製作を行う姿勢を完全にシフトさせ、先ずは海外市場を最優先に考える作品作りの姿勢への転換期を迎えて来ているのが現状です。別にこれはアニメ作品に限った話では無く、いわゆる "ガンプラ" も海外市場での売上比率が急速高まって来ており、近い将来に完全に逆転現象が起きるものと予測されています。
日本の国内需要は今後とも急激に縮小して行く事は決定事項であり、かつアニメヲタクの個人消費だけは倍増する様な気配は微塵も無いため、好むと好まざるとにかかわらず須らく海外市場を目指さざるを得ない状況となっています。
こうした状況下で『PSYCHO-PASS』と『攻殻機動隊』のアニメ制作元である Production I.G は、現時点で既に圧倒的な高評価を受け海外市場でも広く受け入れられている『攻殻機動隊』のポジションをシームレスに『PSYCHO-PASS』へと受け継がせようとしているのではないかと思われます。
前述の様にアニメ制作会社が海外市場を意識して体制を見直して行く事は企業体として生き残るためには不可避であり、また自社コンテンツとして『攻殻機動隊』を考えた場合は自分達の自由な裁量で改変し難い扱いづらいコンテンツである事も自明となりました。その様な状況下では Production I.G が完全に原作権を掌握している『PSYCHO-PASS』を自社コンテンツの柱として注力した方が将来性がありますし、コンテンツビジネスとしてコントロールもし易い事は明らかです。
またそのストーリー展開以外でも、当初はキャラクターデザインとして起用された天野明氏の絵柄にかなりアニメ作画の方を寄せていたものが、劇場版以降は明らかに従来の "IG作画" の方に寄せて来ており、場面場面のみの1枚絵だけなら『PSYCHO-PASS』と『攻殻機動隊』の作画上の区別はほとんど差異が無いくらいに酷似する様になっています。
一方、本家本元とも言うべき『攻殻機動隊』の最新作では従来の画風を完全に捨て去り、いわゆるディズニーアニメ風の完全CG作画でキャラクターを描写する事が発表されています。これは明らかに社内での重要度がシフトして本流は『PSYCHO-PASS』で行き、野心的な実験などは『攻殻機動隊』で様子見をする~と言う風に変化したと思われます。
最初期の『PSYCHO-PASS』の第1期が放送開始された当時。自分は何だか言葉が足りてなくて、せっかく面白い世界観を持っているのに惜しい作品だなという感想を持ったものですが…それから8年経ち、この『PSYCHO-PASS』はすっかり大きなコンテンツへと成長を遂げたと思います。
一般的にはアニメや漫画の様なコンテンツ作品には「強烈な個性を持ったキャラクター」が必要不可欠だとされますが。正直、この『PSYCHO-PASS』に登場するキャラクター達はそこまで異彩を放つ個性的な面々というほどでは無く、どちらかと言えばむしろありがちな平々凡々としたキャラクターしかいない様に感じます。当初はそれを物足り無く感じ、これでは長く続くコンテンツには成り得ないなと思ったのですが…しかしどうして、実際にはもう10年近くコンスタントにTVしリーズと劇場版を繰り返しリリースしており、非常に安定したコンテンツとなっています。
これはキャラクターの個性に依存するのでは無く、むしろキャラクター達を取り巻く世界観、或いは世界環境の設定自体に強烈な個性を持たせるという、今までに余り無かった作品を作り上げる事に成功したからではないかと思います。
『PSYCHO-PASS』の世界設定では…地球上で内戦やテロが無く治安と経済活動が安定して継続出来ている国家は日本だけであり、国外へ一歩踏み出せばそこは民族紛争や自爆テロが日常茶飯事の恐怖と暴力が支配するマッドマックス的な内戦状態の国家ばかり~という何とも特異な世界設定を採用しています。その理由として日本も最初は戦乱に巻き込まれ多くの国民が被災し人工も3000万まで激減したが、それが返って功を奏し3000万まで縮小した人口規模だからこそ国内の最小限のAIと完全自動化されたAI農業によって奇跡的に復興を遂げ、さらには厚生省が開発運営を行った国民管理システム「シビラシステム」が圧倒的な国内治安の制御に成功し大多数の国民の支持を得て現在へと至る~みたいな。
この世界設定は非常に良く出来ており、ストーリー上の要所要所でそれらは断片的に語られますが、基本的にはその全貌や概要について明示的に語られる事は一切無くて、設定厨でもある自分としては当初は非常にやきもきしながらストレスを溜めつつ視聴していたものです(笑)。実際、特に第1期ではこの「現在の日本の総人口は3000万人」という情報が欠落したまま視聴していると、明らかにおかしい部分が多々あるため「何だこの穴だらけのSF考証は?」と感じて視聴継続を断念しようかとさえ思ったほどです。
この世界設定に関する重要な部分を全く開示せずに話だけをどんどん先へ進めて行く展開は、最新版のシリーズでも変わらずに受け継がれている "悪しき習慣" なのですが…それでも継続的にシリーズがずっとリリースされている事をみると、多くの視聴者にとっては詳細な世界設定の情報などは対して重要では無く、その場その場のシーン描写や作画の良し悪しだけが重要なのかなとも思ってしまいます。
それよりも何よりも、この『PSYCHO-PASS』を視聴者に強烈にイメージ付けたのは「犯罪係数」と「色相」というパワーワードに尽きると思います。TVシリーズは元より劇場版でもタイトルにもなり、毎回の末尾にテロップで「人々はこれを "PSYCHO-PASS" と呼んだ」とやるのですが、実はこのフレーズも『装甲騎兵ボトムズ』の「ボトムズ」と同じく、作品中で「サイコパス」というフレーズが使われる事はほとんど無く。メインキャラクターも一般人モブも皆、「色相」或いは「犯罪係数」という言い方しかしないんですね。
日本以外の国では内戦続きで事実上、主権政府が崩壊して軍閥勢力が跋扈している無法地帯ばかり~とい世界情勢も劇場版で初めて描写された設定ですし。そもそもシリーズ第3期を迎えても尚、SF考証的にはどうやって個々人の「色相」を数値化して「犯罪係数」を算出しているのか全く謎のままなんですが。それももしかしたら今後、さらに詳細な手法などが段階的に描写されて行くのかもしれません。こんな風に時折、隙間からチラチラと隠れ見える強烈な個性を放つ世界設定が、ある意味で平々凡々なキャラクター達の行動描写によって少しずつ漏れ出してくるのを、視聴者側はひたすら滴が滴り落ちて来るのを待ち続ける様なスタイルとなっているのがこのシリーズの最大の特徴と言えるかもしれません。
そう考えると通常は悪手と思える個性が薄いキャラクター達も、それ故により強烈な世界設定そのものをより深く味わうための前菜に過ぎないのだと思えて来るのです。つまり『PSYCHO-PASS』の最大の楽しみ方は、キャラクターの個性や話の妙を楽しむのでは無く、それらを通じて断片的にしか見えないこの世界設定そのものを如何にして感じ取れるかを楽しむ作品なのではないかと思うのです。
次の最新作はまた劇場版の様ですが、ここでもまた僅かに世界の断片が語られるのでしょう。そう思うとまた後10年はこのシリーズから目が離せなくなります。次回作も期待したいです。